TAKASHIです。
もう10日以上前の話ですが、福島に行ってきました。
親が福島の喜多方ラーメン食べに行きたいということと、会津の方に観光に行きたいということだったので、せっかくの機会だったので同行させてもらいました。
ここがキタカタシティか。 pic.twitter.com/Ok6SLrmlCV
— Rox (@Rox_Infinity) 2017年1月8日
運転なら俺にマカセロー
今回もSEL50M28のみ持っていきました。ちょっと不安でした。
ズームレンズ持っていけばもうちょっと違う写真撮れたのかなぁ。
家から宇都宮IC~郡山JCT~会津若松ICというコース。
途中の那須高原SAで休憩を挟みましたが、だいたい3時間ちょっとで着きました。
すべてJPG撮って出しです。
那須高原SAで休憩。
るるぶ.com情報ですと、那須高原SAは結構サービス多いということだったので、ここで30分ぐらい休憩しました。
参考:東北自動車道(下り)のおすすめSA・PA一覧2016 :るるぶ.com
中には御用邸チーズケーキで有名(?)なチーズガーデンとか、お土産物屋、パン屋がありますね。
(御用邸チーズケーキは宇都宮駅ビルでも買えます)
栃木県でひよ子ってどうなんでしょう。需要あるのかなぁ?
こーゆーところで打っているパンは魅力が6割増されている気がする。
お弁当。以前長野に行ったときに、「峠の釜めし」を食べたのですが、それぐらい人気になってくれれば栃木県民として嬉しいですね。
「東北道に乗ったらこれ食べないともったいないよ!」ってぐらい!
峠の釜めしの魅力はこちらでどうぞ
→捨てるなんてもったいない!【峠の釜めし】釜めしの容器の再利用方法 :NAVERまとめ
自販機でアイスコーヒーを購入。冬だったけど、車の中は暖かいからね。
入口の近くには木製のテーブル。ここでお弁当食べてもよさそう!
ん?
木のテーブル・・・
コーヒー・・・
ここにMacBookProとコーヒー置いてカチャカチャターンすれば絵になるじゃん!!
(丁度出かけるときにヤマトの人が来てMacBookProを受け取りました)
会津若松から喜多方へ。
「絵になるなぁ・・・」と思いつつ再度車で移動。
猪苗代へ入ると雪が残っていて、「ああ、雪の降る地域に来たんだなぁ」って思いながら運転してました。
そして会津若松ICで降りました。
そうそう、会津若松ICから喜多方方面行く場合、会津縦貫道が凄く便利ですよ!!
信号が無いのでスムーズに喜多方まで行けます。
栃木県でいう、宇都宮北道路みたいな感じです。
で、喜多方。Twitterのやつです。
ラーメン食べたいよね。
観光雑誌に載っていて人気店って書いてあった坂内食堂と食堂はせ川は超行列でした。
お昼時に行ったってのもありますがなんと1時間待ち・・・!!
さすがにそこまで待てないので、行き当たりばったりで見つけた飲食店「蔵屋敷あづまさ」へ。
のれん。
店舗の紹介。
喜多方ラーメン!チャーシューがほろほろで美味しい。さっぱりしてます。
味噌田楽。喜多方ってラーメンが有名だけど、この味噌田楽も有名みたいです!
食後のコーヒー。
ここも観光客のツアー客の団体が居ましたが、幸いツアー客が店を出るタイミングだったので、落ち着いた雰囲気の中食事をすることができました。
お腹も満たされたので移動して鶴ヶ城。
鶴ヶ城の手前に神社もありました。
中は一部を除いて撮影禁止なので撮ってません・・・。
そうそう、白虎隊を紹介する場所が人気で混みあってましたよ。
白虎隊(びゃっこたい)は、会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていた。
(中略)会津軍の劣勢は如何ともし難く、白虎隊も各所で苦戦を強いられ、最精鋭とされた士中隊も奮戦空しく撤退を余儀なくされた。このうち一番隊は藩主・松平容保護衛の任に当たったが、二番隊は戸ノ口原(戸ノ口原の戦い)で決定的打撃を受けて潰走し、戦死者も少なからずあり、8月23日に負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びた(この間、庄田保鉄ら隊員数人が農家で草鞋を貰い受けている間にはぐれた)。このとき、ここから眺めた戦闘による市中火災の模様を目にし、結果総勢20名が自刃を決行し、唯一喉を突いた飯沼貞吉(のち貞雄と改名)のみが一命を取り留め、その他19名が死亡した。一般に白虎隊は若松城周辺の火災(もしくは城周辺から上がる湯気)を目にし落城したと誤認して悲観したとされているが、飯沼が生前に伝え残した手記『白虎隊顛末略記』(飯沼からの聞き書きに飯沼本人が朱を入れたもの)によれば、当時隊員らは鶴ヶ城に戻って敵と戦うことを望む者と、敵陣に斬り込んで玉砕を望む者とのあいだで意見がわかれ激論を交わし、いずれにせよ負け戦覚悟で行動したところで敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった隊員らは、城が焼け落ちていないことを知りながらも、武士の本分を明らかにするために飯盛山で自刃を決行したという。
すいません、あまり歴史とかに興味持っていなかったのですが、この生き様に心惹かれる方が多いということでしょうね。
屋上からカメラをパシャパシャ。
ズームレンズが欲しいなぁと思った。
その後移動して大内宿へ。
大内宿。この辺りも雪が残っていますねぇ。なかなか良い雰囲気!!
↑これは確か駐車場からパシャ。
氷柱見ただけで、「ああ、雪の降る地域に来たんだなぁ」(2回目)と感動してました。
大内宿に到着したのがPM4時を過ぎてしまったので、お店がだいぶ閉まってました。
あと曇りだったということもあって、雪がだいぶ解けてました。
以下、大内宿の写真。
雪が積もった時に行ったらもっと感動したんだろうなぁ!
母からポスターとかで雪が降った時の大内宿を見せてもらったのですが、あれは凄いですよ。
間違いない。
次来るときはもうちょっと早めに来てお店とか回りたいね!
そして帰路へ。帰りは下道!
会津から龍王峡方面に出て、そこから那須塩原へ行き、国道4号。
日光から那須塩原(湯の香ライン)に出るとき、途中で雪が降ってきて実質泣いた!!
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